ネパールで子を生んで・・・妊娠編

 
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このカテゴリーは「気ままなおしゃべり」です。

私の人生の中で、一番踏ん張ったこと。

今日は

その辺のおしゃべりをしてみます

 

子供を生んで育てる

妊娠も出産も、子育てもすべてネパールでやるしかない!

恋愛のステージから

大きな一歩を踏み出したあの頃。

心に座標を決めてしまうと、

迷わず日々過ごせます。笑

 

ネパールでの出産

これについては

いろいろと意見が分かれると思います。

衛生面とか病院の設備環境とか・・・

異国の地で出産なんて、

不安極まりない!

ですよね。。

ごもっともなのですが

私はありがたいことに、

極めて健康な体だったこと

信頼できる医者に会えたことから

妊娠、出産、育児のステップを

すべてネパールで完了することができました!

 

近頃では、

綺麗で設備の整った病院が沢山ありますけれど

20数年前は選択肢がそれほどありませんでした。

長女と長男を出産したのは、

国営マタニティホスピタル。

後に改装され綺麗に設備されましたが、

当時はとてもとても古い建物でした。

医者のちょっとした留守の間に

思い切って力んだら生まれてしまい!?

慌てた看護婦さんは

「今すぐ、医者呼んで来るからね!」と言って

私のお腹の上に

体内から出たばかりの

赤子を乗せたまま放置!

あれは、

一生忘れられない出来事でした。

ぼっ~とした感覚の中で、

お腹の上にある赤子とふたり

なんと心細かったことか・・・

真っ赤なアマリリスが咲き乱れて眩しい時期でした。

 

 

家族に助けられる日々

ちょっと寄り道して

私の母のことに少しだけ触れます。

鹿児島の良家で育った人で、

屋久島杉の家具の商売のために家族で東京に移住。

鵜の木にあった大きな平屋の一番奥の間には、

日本舞踊のお稽古場もあって、

お手伝いさんが二人もいたのを覚えています。

生みの親とは幼い時に死別していて、

のちに義母となったのは、

日本舞踊を教えていた花柳流のお師匠でした。

それはそれは綺麗な人で

幼い私もちょっとだけお稽古したからすごく良く覚えています。

母は、

私が授かると、

ひとりで途方に暮れ

どうしたらよいかまったく判らなくて

泣いている私と一緒に泣きべそをかきながら

育てたのだと言っていました。

父の実家からは、

子育てのお手伝いはなかったみたい。

冗談抜きで、

気の毒な話ですよね。

ネパールなら、

誰かが助けてくれる。

実は、

お母さんもちょっぴり苦い顔?はしていたように思うけど、

外国人の私に、

ネパールの習慣通りのことをしてくれました。

それはもう、底なしの愛。

姑を深く尊敬することができたのは、

妊娠から出産そして子育てがあったからこそ。

 

妊娠して9ヶ月経過すると

出産を備えた母体を気遣い、

実家からご馳走を作り、

嫁入りした家に

特別料理を届けると言う習慣があります。

私の場合だと、

全然関係ない?よね?

でも、

ネパールの習慣通りにしてくれたんです!

王宮広場にも近い、

生レンガ造りの古い家にお呼ばれすると、

次から次に

出てくる出てくる!

私のために作ってくれた特別料理。

あの時は、

大きいお腹が更に大きくなっただろうと

思えるくらい、

食べて食べて食べまくった!!

その気持ちが嬉しくて

嬉しくて胸もいっぱいになって

よしゃぁ!がんばるぜぃ!!

そんな気持ちになりましたね~

妊娠中ずっと、

日本食が恋しかったのにね。

 

安心して任せられる

私の三人の子供の妊娠から、

出産までを手伝ってくれた女医さんは、

中年のネワール女性で、笑顔の優しい方でした。

心から信頼すること。

これは、

出産に限らずどんな場合でも同じことで、

とても大切なポイントみたいな気がします。

本日はここまでにして置きますね。

 

 

 

 

 

 

 

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